19世紀初頭、ウィーンはベートーヴェンやハイドンら巨人が集う音楽の戦場でした。そこにギターを担いで現れ、巨匠として認められるには、単なる才能以上の**「技術的革命」**が必要でした。
1. 弦の転換:チェロから6弦ギターへ
マウロ・ジュリアーニ(1781–1829)は、もともとチェロとフルートの強固な基礎を持つ音楽家でした。この背景が、当時の「セレナーデ奏者」には欠けていた通奏低音の把握と**音の遠達性(プロジェクション)**を彼に与えました。彼はバロックの複弦を捨て、現代ギターの直系である「単弦6弦ギター」を採用。これにより、19世紀の音を定義づける明快なアタックと高速アルペジオが可能になったのです。
2. ウィーンでの勝利:6本の弦によるオーケストラ
1806年にウィーンへ渡ると、彼は瞬く間にセレブリティとなりました。ベートーヴェンの指揮下で『交響曲第7番』のチェロ奏者を務めるほどの音楽家であり、その相互の尊敬の中から、ベートーヴェンの有名な言葉**「ギターは小さなオーケストラである」**が生まれました。
- 協奏曲 作品30: 彼はギターとオーケストラのための最初の大協奏曲を初演。適切な音色制御(第14講)により、ギターが管弦楽の中でもかき消されずにダイアログを形成できることを証明しました。
3. 120のアルペジオ:右手の聖書
フェルナンド・ソルが左手を体系化したなら、ジュリアーニは**「右手の絶対的王者」**でした。その遺産は『ギター教本 作品1』に凝縮されています。
- 120の公式: 彼はギターの敏捷性が右手のp-i-m-aの自動化に依存していることを見抜き、全てのメカニズムを網羅する120のバリエーションを作成しました。今日、これを通過しない音大生は存在しません。
4. ロッシーニアーナ:ギターとオペラの結婚
イタリア人である彼は、ロッシーニの「ベル・カント(美しい歌)」を愛しました。有名なオペラのアリアを元にした『ロッシーニアーナ』では、ギターがソプラノのように歌い、バリトンのように轟きます。これは、劇的なダイナミクスと高速の連弾(第5講)を要求する、最高峰のエンターテインメント作品です。
5. 黄昏とイタリアへの帰還
1819年、経済的困窮によりウィーンを離れ、ローマとナポリへ戻りました。晩年は技巧よりもイタリア的な旋律の純粋さを追求しましたが、1829年に没するまで、教え子たちにとって彼は「ギターの神」であり続けました。
6. 実践的な知恵:なぜジュリアーニが不可欠なのか?
- 親指の独立性(第4講): アルペジオ練習により、高速パッセージでも右手が「ロック」されない独立性を養います。
- スケールの速度(第9講): 彼のソナタは正確なi-mの交互連弾を要求し、無駄のない運指を鍛えます。
- ステージ・プレゼンス(第15講): ギターが外向的で華やかになれることを教えてくれます。自信を持って音を飛ばすための最高の訓練です。
サマリー
マウロ・ジュリアーニはギターを音楽世界の中心へと導き、ピアノやオーケストラに挑みました。彼は、音楽的知性と結びついた技術がいかなる偏見も打ち破ることを証明した英雄です。彼がギターに与えたのは、アルペジオの体系と、最初の大協奏曲という栄光でした。
やってみよう:マウロ・ジュリアーニの挑戦
- ジュリアーニの**『120のアルペジオ 第1番』**(CとG7の和音によるp-i-m-a)を練習してください。
- メトロノームを使い、i, m, a指の音量が完全に均一であることを意識しましょう。
- 徐々に速度を上げつつ、親指(p)が常に深く、力強く響いているか確認してください(第13講)。
